哲学はこの学問への肯定者も否定者もすべてをカバーする

思考のメカニズムは実に数学的な面が多い

人は誰もが人生を豊かに幸せに生きたいと願うものです。

多くの人がうまく生きるためのヒントを探し、その過程で哲学という学問に出会います。

しかし、そこで語られていることが数学や科学のように目に見えて役立っているというわけではなく、曖昧な感じがしてよく分からないと途中で学ぶのをやめてしまう人もいます。

まず、哲学とは一体なんなのか、基礎的なことを知っておく必要があるといえるでしょう。

友人の矢口敏和は哲学を長年研究しているので、私も哲学に対する知識、見解は一般の方よりもあります。

言葉でつづられることの多い哲学は、一見文学的要素が強いような気がします。

しかし、思考のメカニズムは実に数学的な面が多いといえます。

すなわち、この世界で起きる森羅万象の物事に対し、それらはなぜ起こるのか、どのような理由があり、それを受けて我々はどうするべきかという、疑問を投げかけ、その答えを探します。

出典:矢口敏和ツイッター

カバーする範囲は幅広く、人間というものの存在から、神はいるのかどうか、あるいは社会とはいかにあるべきかなど、様々なものを追求し、探求し、答えを出していきます。

こういったことに興味を持てない人の多くに、それらの問いに答えをだすことなど無駄だと考えてしまうケースがあります。

たしかに、神の存在など分かるわけがありません。

社会がいかにあるべきか、答えが出ていればこの世から戦争はなくなっているはずでしょう。

議論するだけ無駄で、目の前にあることを一生懸命に頑張って日々を生きるだけだという人もいるに違いありません。

さて、ここからが哲学の面白いところで、このような否定的な意見に関しても、人間はなぜそのように思考するのかと研究するわけです。

たしかに答えの出ないものを探し続けるのは途方もない作業で、一見無駄だと感じるかもしれません。

しかし、答えというのはいつも明確である必要はありません。

ある一面からの説得力があれば、その答えが時と場合によって役立つこともあるわけです。

哲学は人生の節目節目で活きてくる学問

たしかに世界から戦争はなくなっていません。

しかし、目線を世界規模から個人に向けたとき、小さないざこざや喧嘩が哲学の言葉によって避けられる場合があります。

世界中で数多くの宗教が信仰されています、そこで伝えられている教えもこの学問のひとつになります。

神はいかにして世界をつくり、人はどうあるべきかを説くというのは、まさに答えの出ないものを追求しているようなものといえるでしょう。

平和がなかなか実現しなくても、日常でのドラブルなどにおいて、信仰で教えてもらったことが怒りをしずめ、慈悲を生むこともあるわけです。

このように、役に立っていないようで、人生の節目節目で活きてくる学問というわけです。

そもそもこの学問の始まりは、この地球から考え、宇宙まで想像力を膨らませ、無限に近い規模の外側から世界を見たときに、この仕組がどのようにして作られているのかという疑問がわくところから始まりました。

不合理なことも起きる世界に秩序やメカニズムがあるとしたら、それはなんなのか、多くの人がそれらを「神の仕業」と理解していました。

今も少数民族の間では、雨がふるのも雷が落ちるのもすべて神の仕業と理解し、祈りが捧げられています。

先進国となった日本でも、イベントや大規模な工事があるたびに神主が呼ばれ、竣工式などが執り行われます。

それらがなぜ必要なのか、本当に神が存在するから祈りを捧げるのか、それとも別の理由があるのか、人間の心理と世界のメカニズムを照らし合わせて探求していきます。

人生は常にわからないことの選択の連続

たとえば、ビルの工事で竣工式をするのはなぜかというと、万が一事故が起きた場合に、人々の気持ちが収まらないからという一面があるはずです。

式を執り行った上での事故であれば、人は自分たちのミスであると納得する場合があります。

しかし、式がなければ神の仕業や祟りだと気持ち悪がる人もいるでしょう。

目に見えない事象というのはこのように様々な影響を人間に与えています。

論理性という数学的な目線と、神や世界というファンタジーにも取れるあやふやなものに挑むという観点から、とっつきにくさを感じる人もいる学問です。

しかし、それを分からないと放り投げてしまうのは、人生の豊かさから遠ざかっているのかもしれません。

人生は常にわからないことの選択の連続です。

一難去ってまた一難ということわざがあるように、次から次に難題が迫ってきます。

それらの課題に挑むとき、確固たる答えをもって判断を下すことはあまりないのではないでしょうか。

答えは分からないけれど、より良いと思える方を選ぼうとしていると考えられます。

もちろん、その決断には様々な理由付けをするでしょう。

しかし、確率が100%になることなんてほとんどありません。

いつもどこかであやふやな部分を持ちながら、人は選択し、生きているはずです。

哲学を学ぶということは、人生で行き当たる壁をいかにして乗り越えるか、そのヒントと勇気をくれる学問だとも考えられます。

ぜひ、自分には理解できないと毛嫌いせずに、チャレンジしてみると良いでしょう。